100円玉を握り締めて
デパートのゲームコーナーへ走る
子供の頃にこの経験をした人とは、
以降このカテゴリでは話が通じやすいと思います
もちろんデパートの屋上やゲームコーナーだけでなくって
近所の駄菓子屋だったり、薄暗い照明のゲームセンターだったり
エレメカ、大型筐体、ビデオゲーム
それまで音もなくデモを繰り返すだけだった筐体が
コインを投入した瞬間、まるで魂がこもったように反応する
そう、君は僕を待っていた
僕は君に会いに来た
今日はどんな事が起こるのかな?
そんな不思議な感動が、アーケードゲームにはあると思います
[6回]
自分にとってアーケードゲーム、とりわけビデオゲームの
原体験ってなんだったろう、と干からびた脳みそを搾ってみると…
家族で旅行にいった先で遊んだゼビウスが思い出されました
なぜかプール施設の中にあったテーブル筐体に
夢中になった覚えがあります
そしてその時いった言葉も思い出しました
「将来、絶対このゲームを買うよ」
テーブル筐体ごとゼビウスを…っていう意味でした
子供って大それた事を考えますね
しかしその思いは強烈だったようで、
歳をとった今も形を変えて同じ夢を追っている自分に気づきます
透き通った電子音、リズミカルなBGM
ブラウン管の少しぼやけたカラフルな世界
レバーといくつかのボタンと、擦り切れたパネル
そこに全てがあった
筐体と自分とだけで、完全に完結した世界があった
満ち足りていた…
今、町へ出てそんな気持ちになれるゲーム、お店って
果たしてあるんだろうか?
「子供だったから」というのは理由にならないと私は考えています
個人経営のゲームセンターは次々姿を消し、
ビデオゲームは衰退し、
ゲームは家で、PCで、ポータブル機で遊ぶ時代になっても
追い続け、触れ続けているなら必ずその時はあると断言します
だってほら、今日もまたどこかで
そんな心の琴線に触れるゲームが作られてる
あの頃の自分が、私たちが、今も生きているでしょう?